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三条簡易裁判所 昭和45年(ろ)15号 判決

被告人 丸山正二

昭一六・四・二生 自動車運転手

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実は、「被告人は車両運転の業務に従事する者であるが、昭和四四年六月三日午前二時五〇分ころ、大型貨物自動車を運転し、三条市大字西本成寺三、〇七二番地先の国道八号線上を長岡方面から新潟方面に向け時速約五〇キロメートルで進行中、自動車運転者としては、左右道路の交通に注意するは勿論、前方注視を厳にし、かつ、道路状況にも十分留意し進路の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、漫然同一速度で進行した過失により、進路前方道路中央部に自動車の車輪がはまる穴のあるのをその手前約七・四メートルに接近して初めて認め、急制動をかけたが間に合わず、自車前輪をその穴に入れハンドル操作を不能にさせ、自車を道路右路外に転落させ、その衝激により自車の同乗者阿部三郎(当三九年)に対し、全治約二ヶ月間を要する顔面右胸腰部左手左足右膝打撲傷の傷害を負わせたものである。」というものである。

二、被告人が車両運転の業務に従事するものであり、昭和四四年六月三日午前二時五〇分ころ大型貨物自動車を運転し、三条市大字西本成寺三、〇七二番地先の国道八号線上を長岡方面から新潟方面に向け時速約五〇キロメートルで進行中、進路前方の道路上に自動車の車輪のはまる穴のあるのをその手前約一〇米の地点で初めて発見し、急制動の措置をとつたが間に合わず、殆んど前記速度のまま右穴に乗り入れたためハンドル操作を不能にし、自車を進路前方に暴走させて右路外の七・五メートル下の用水路に転落させ、その衝激により自車の同乗者阿部三郎に対し全治約二ヶ月間を要する顔面右胸腰部左手左足右膝打撲傷の傷害を負わせたものであることは、(証拠略)によりこれを認めることができ、又(証拠略)によれば被告人が予め右穴の存在を発見し、穴に到達するまでに減速徐行し極く低速で安全を確認しながら穴の上を通過するか、又は右穴を避けて道路の右側(被告人の進行方向を基準とする。以下右側、左側はすべて同じ。)の穴のない部分を通過したならば右事故を回避することが可能であつたこと、しかして時速五〇キロメートル毎時で進行していた場合三〇メートル手前で発見していれば右回避措置をとることが可能であつたことも認められる。

三、しかしながら被告人が右穴の手前約一〇メートルに達するまでこれを発見しなかつたことが被告人の過失によるものであることを認めるに足る証拠がない。以下この点について述べる。

1  右事故現場の道路状況並びに穴の状況は、(証拠略)によれば、本件事故現場の道路は幅員九・二メートルのアスフアルト舗装の車道部分とその左側の幅一・五メートルの歩道部分よりなつていること、本件穴は電話線埋設工事のため道路を掘起こした後、そこへ砂利を埋め、その上を仮舗装しておいたところ、その後そこを通過した多数の自動車によつて仮舗装が破れ、埋設した砂利が車の進行方向へ押し出され段々深い穴となつたものであり、被告人の通過時には進行方向への長さ約一・三メートル、幅は車道の左端より一・三メートルの附近から右方へ約四・三メートルの範囲が進行方向へ円弧状に掘られており、深さは最深部で路面から約三〇センチメートル、穴の前方の砂利の盛上がつた部分が最高部で路面から二〇センチメートルあり、結局上下差が最高約五〇センチメートルとなつていたものであること、道路のその穴の右側には三・六メートル幅の穴のない部分があつたこと、その穴の左側は車道の左端五〇センチメートルのところから歩道上およびその外側へかけて幅約四メートル、長さ約七・五メートルの範囲が工事中であることを示す高さ六〇センチメートルの板で囲まれており、その板囲いの中には赤燈が一個点灯されていたこと、本件路面の穴の存在を警告する表示はなにも存在しなかつたこと等が認められる。

2  ところで(証拠略)における供述によれば、同人が本件事故の直後に行なつた実況見分の際本件穴の確認可能状況を見分したところ、穴の手前約三〇メートルの地点で前方に砂利の盛上がりがあつて、その手前に穴があることを確認し得たこと、しかもその見分は路上に直立してなしたものであるが、被告人運転車両の運転席についた場合は運転者の眼の位置はより高くなるので一層確認が容易であつたであろうと思われること、との証拠がある。しかしながら右斉藤証人は既に本件穴の状況を見分し、その穴の存在を認識したうえでその認識している穴の存在が三〇メートル手前の位置で確認し得たというものであり、このような穴を夜間三〇メートル離れたところから見る場合、その存在を既に認識している者と、その認識のない者とではその識別に差異のあることは明らかなところであるから、かかる穴の存在を全く予期しない者でも同様の位置でそれが穴であることを確認し得たか否かは疑問の存するところである。更に(証拠略)によれば、本件現場は新潟市と京都市を結ぶ国道八号線であつて、この道路は新潟市より関西方面および国道一七号線を経て東京方面へ通ずる新潟県下では最も重要な幹線道路であり、新潟市より東京方面に至る間は殆んど全区間が舗装されているものであること、深夜においても相当の自動車の交通量があること、本件現場は三条市の郊外であつて平坦地を通つている道路であることが認められる。このような幹線道路にあつては道路整備、道路標識等の設置が完備されており、道路工事その他路面に欠損異状があつて特別の注意を要する場合にはその旨の道路標識若しくはなんらかの警戒表示がなされており、なんらの警戒表示もなくて路面にかかる危険が存するということは極めて異常な場合であるといい得るから、このような幹線道路において、なんらの警戒表示のなされていないところでは制限速度の範囲内で走行する限り、他の交通に対する関係を除いて路面の安全性については高度の信頼をもつことが許されるというべきであり、そのように信頼して運転するのが通常である。そして本件現場には前記の如く左側歩道上に工事中の板囲い並びに赤燈があつたが、これはその板囲いの中が工事中であつてその中およびその近辺が注意を要することを警告するに止り、車道の中心附近を進行する者に対してはなんらの警告とならず、他に路面の危険を警告するなんらかの警戒表示が存在したことを認め得ないことは前記のとおりである。してみると本件現場を走行する運転者は路面の危険については特段疑いをいだかないで運転するであろうから、かかる運転者としては前方にこのような穴が存在してもその発見が遅れるということは充分あり得ることである。そうであれば前記穴の手前三〇メートルで発見可能であつたとの証拠により直ちに一般の運転者にとつてもその位置で発見が可能であつたと認めることはできない。

3  次に被告人が本件現場を通過する際本件穴をどのように認識して運転進行したかを判断するに、(証拠略)によると、被告人は本件穴の手前約五〇メートルの地点に来たとき前記歩道上の工事中を示す赤燈を発見したが、その際、本件現場は前々日の六月一日午前一〇時ころ今回のときとは逆方向である新潟方面から長岡方面へ向けて通過した時にも工事中であつたことから、ここが工事現場であることを思い出し、それと同時位に本件穴の部分が黒く見え他の舗装部分と違うものであることが分つたが、前々日通過した際は工事箇所に鉄板が敷いてあつたのでその黒く見えた部分は前回と同様の鉄板であると判断し、前回はその鉄板上を減速しなくても支障なく通過できる状態になつていたので、今回は夜間であり、且現に工事を実施していないのであるから当然減速しなくても安全に通過できるものと思い、本件穴のような危険が存在することは全く予想しないで進行を続け、穴の手前三〇メートルを過ぎたころになると、その黒く見えた部分が鉄板ではなく新しいアスフアルトを敷いたように見えたのでこれを新しいアスフアルトと判断し、やはり支障なく通過できると考えてその上を通過するつもりで車道の左端から二・五メートル附近を進行し続けたところ、穴の手前一〇メートル附近に至つて初めてこれが穴であることを知り、急制動の措置をとつたというものであることが認められる、右の事実によると、被告人は既に約五〇メートル手前の地点で本件現場で工事が行われていることを知り、且路面が他の部分と異つていることを発見したのであり、又約三〇メートル手前を過ぎたころ鉄板と思つていたものがそうでないことに気付いたのであり、およそ自動車の運転者たる者は常に前方注視を厳にし、進路の安全に留意して進行し、路面に少しでも異常を発見したときは直ちに減速して安全措置を講ずべき業務上の注意義務を負うものであるから、被告人が右工事現場であり路面が他の部分と異つていることを発見した地点において、仮にそうでないとしても鉄板と違うことに気付いた地点において、直ちに減速措置を講じ一層前方注視を厳にすべきであり、若しそうしたならば早期に本件穴を発見し、ひいては高速での穴への乗入れを避けることができたであろうことが推認し得なくもない。しかしながら被告人は前記の如く前々日本件現場を通過し、その際ここが工事現場ではあつたが減速しないでも安全に通行できる状態であつたことを経験し、今回は深夜であり、且現に工事が行われていなく、そのうえなんらの警戒表示が出ていないのであるから工事現場ではあつてもこのような幹線道路上においては当然減速しなくても安全に通行し得るように整備されていると思つたというのである。そして被告人がそのように判断したために減速措置をとらなかつたとしても、場所が前記の如く危険な穴の存在が予想し難い本件現場であつて、且つ前記の如き経験からそのように判断したものであればそれも止むを得なかつたものであり、これをもつて被告人に注意義務違反ありとすることは聊か酷に失するというべきである。

4  もつとも(証拠略)によれば、本件現場は交差点の入口であつて、この交差点には信号機が設置されており、被告人の進行に対しては黄の点滅即ち注意進行の表示をなしていたものであることが認められる。しかしながら右信号機の注意進行の表示は他の交通に対する注意義務をこの信号のない場所以上に強く要求しているのに止り、路面の安全に対する注意義務を課しているものではないから、仮りに被告人が右信号の注意義務を遵守するため減速若しくは徐行をしたならば本件事故を避けることができたとしても、本件事故が他の交通との間に生じたものでなく、これと全く無関係に路面の欠損によつて生じたものである以上、本件現場が右信号機の設置場所であつたからといつて本件事故に対する前方注視義務違反があるということはできない。

5  他に被告人が本件穴の手前約一〇メートルに至るまで右穴を発見できなかつたことについて、被告人に業務上の注意義務違反があつたことを認めるに足る証拠がない。

四、以上のとおりであるから本件公訴事実は犯罪の証明がないことになるから刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

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